※本コラムでは「北極圏に定住する先住民族」の方々全体を指す言葉として「エスキモー」の呼称を使用しています。
エスキモーと呼ばれている方には「イヌイット」、「ユピク」など複数の先住民族を内包しているにもかかわらず、外部からみて一括りにエスキモーと呼称することに差別的、侮蔑的ニュアンスが多分に含まれているという指摘もありますが、未だアラスカやシベリアで公的な用語として使われていることも鑑みて、本コラムでの使用は問題ないと判断した上で、エスキモーの呼称を使わせていただきます。
「エスキモーに氷を売る」は失礼?
皆様は、「エスキモーに氷を売る」という言葉を聞いたことはないでしょうか?
この言葉は、世界的に有名なアメリカの作家、そしてスポーツマーケターである、ジョン・スポールストラの著書「エスキモーに氷を売る-魅力のない商品を、いかにセールスするか(原題:Ice to the Eskimos)」 が由来となった、ある種のビジネス界におけるミームの一つです。
これは雪と氷に囲まれて生活しているエスキモー(北極圏のシベリア極東部、アラスカ、カナダ北部・グリーンランドに至るまでの永久凍土に居住する先住民)の人々に、購入する必要がないであろう氷を売るほどの優れたマーケティング戦略、という比喩表現です。
製氷メーカーの者として、氷が魅力のない商品の代名詞のような扱いには、大変遺憾であります。(# ゚Д゚)
そしてエスキモーの方々にも中々失礼な表現にも思えますが、あくまで「マーケティング戦略のアプローチの大切さを比喩する表現」としては、的を得ていて秀逸なことも事実です。
しかし実際のところ、エスキモーが氷を購入することは現実としてあり得るのでしょうか?
あくまで個人的見解ではありますが、 エスキモーの方々が飲食用の氷を買うケースも十分にあり得ることだと思います。
なぜなら、氷は冷蔵用に限らず、飲食用など様々な用途のものがあるので、食品を冷蔵するための氷を買う必要ない北方の人々でも、それ以外の用途の氷なら十分買う可能性があると考えます。
特にエスキモーの方々は古くから氷に閉ざされた大地に暮らし、氷をとことん活用してきた人々なので、むしろ彼らにこそ上質な氷を提供すれば、それを評価して使って頂けるのでは…とすら思っています。(…本気ですよ?)
ではエスキモーの人々が実際にどのように氷を生活の知恵として活用しているのか、今回は解説していきます。
エスキモーの人々の「氷観」
アラスカに住むエスキモー(イヌイット)の人々は氷に覆われた環境下で生活していますが、彼らが身の回りにある雪を幾つもの名で呼び分けている逸話は広く知られています。
時にこれは、雪を表す言葉が50、100語などと誇張されることがありますが、現実にはそう多くの呼び方で雪を呼び分けているとは言い難いようです。
実際のところ彼らは、雪を表す3つの語形(qanik、apun、aniu)から派生した呼び方で、「アニユ」は融かして飲み水にする雪、「カニック」は切片として降っている雪、「アプット」は積もっている雪、「プカック」はきめ細やかな雪、「ベシュトック」は吹雪、「アウベック」はイグルー(後述)を作るための雪などと分けて呼んでいます。 (※文献により解釈が分かれます)
イグルーとは、圧雪ブロックを円形に積み上げて作られた一時的な住居かまくらのことです。
ドーム状の外壁は外の寒気や風を遮断し、また氷は熱エネルギーとして潜熱を溜めていても、溶けるまでは0℃を保つので急激な温度変化が生じにくく、内部は以外に暖かいです。
エスキモーの人々は「雪」を様々な言葉で表す。
エスキモーの雪の呼び分けは、日本での呼び分けとは違い、まず初めに「雪」という単語があり、それを細分化しているのでなく、初めから別個に分かれています。
日本においても雪を、細雪(さざめゆき)、牡丹雪、小米雪、粉雪、みぞれ雪といったように実に情緒的に美しい言葉で呼び分けていますが、エスキモーの呼び方では、お互いに音声の類似がないことからわかるように、雪に形容をつけて2次的に細分化しているのではなく、それぞれまったく別物としてとらえられた呼び分けをしていると言えます。
そしてこれらの言葉はエスキモーたちの日常生活に密接に結びついており、飲料水とする雪、イグルーをつくる雪といった、極地で生きていく上での道具、技術などと強く結びついた実用的な呼び分けとなっています。これは、日本のやや情緒的ともいえる雪の呼び分けとはある意味対照的とも言えるでしょう。
エスキモーのなかでも、ベーリング海の小島、アラスカ本土とシベリアの間にあるセントローレンス島では、氷を指し示す単語が 99 語も認められているとのことです。
セントローレンス島は現在主に、アラスカのイヌイットとの人々とは異なる「エスキモー」である、シベリアユピックの居住地となっており、彼らによるトナカイの牧畜が主産業となっています。
しかし、かつてはアラスカ系のアラスカユピックが住み、海生哺乳類の狩猟を生業としていました。
しかし、この海域に生息していたステラーカイギュウの絶滅など多くの変化が起こり、アラスカユピックたちも1878年~1880年にかけて起きた飢饉により島を離れるか、餓死してしまいました。
しかし古い時代の知識は今も生き続け、今でもセントローレンス島のエスキモーたちは氷の区別とそれにまつわる伝統的な豊かな知識体系を保持しています。
また今日では多くの島民が最新の科学的な知識をも身につけていて、海氷と海生哺乳類の回遊に対する地球温暖化の影響を、科学者以上に適切に、しかも科学的用語で語ることができるようです。
これは、古くからの極地生活の中で得た、伝統な氷の細分化に対する知識があってこそです。
このようにエスキモーと呼ばれる人々と、それ以外の日本人などの人々では「氷観」が異なるとも言えるかもしれません。
エスキモーたちの冷凍、保存食品
永久凍土で農作物の育たない土地で暮らす、エスキモーの方々の食生活の中心は肉類です。
肉類は焼いてしまうとビタミンが壊れてしまうことを経験的に知っていた人々は、血液を含んだ冷凍肉を生食したり、夏の間に収穫しておいたベリー類を活用することで、農作物の不足から来るビタミン不足を補い、壊血病などを回避しました。
この点では大航海時代にビタミン不足から壊血病を引き起こし多くの船員を失いながらも本格的な対策ができるようになったのはそれから数百年も後だった欧州よりもある意味先進的といえます。
最も、欧州では食物を冷凍保存できるほどの低温環境の維持が難しいことや、当時の船員たちの社会的地位が必ずしも高くなかった点を留意する必要がありますが。
また、シベリアユピックの人々は、「コパルヒン」と呼ばれる保存食を作ります。
これは夏の間に獲れたセイウチなどの肉を、泥炭層の下に埋めておきます。
この肉は秋の間に発酵し、冬には冷凍され、翌年から利用可能な保存食品として完成するといいます。
このコパルヒンは食糧が不足したときに掘り返され、人々の命を繋いできましたが、一方でボツリヌス菌の毒素を含むことがあるそうで、シベリアユピック以外の人々がこれを食することは時に死を招くことさえあるようですが、彼らはこれに対して耐性を持っているようです。
またイヌイットの人々が作る、海鳥をアザラシの体内に詰めて発酵させた「キビヤック」は、その衝撃的なビジュアルから日本においてもある程度知名度があります。
しかし、なぜ海鳥を食べるのになぜアザラシの中に詰め込む必要があるのかというと、これはキビヤックが乳酸菌による嫌気性発酵で作られるため、空気が入り込むと別の雑菌が増えて腐ってしまい(そのため海鳥は隙間なく詰め、最後にはアザラシの脂で皮をコーティングします)、また凍り付いてしまうと発酵が止まってしまうため、断熱性、気密性を保てるアザラシの皮が必要なのです。
イヌイットの人々は食品を凍らせて保存するだけでなく、保存した食品を凍らせない術も生活の中で身につけてきたということです。
北海道千歳市にある「サケのふるさと千歳水族館」のサケ水槽と、アラスカで使われるそれを模したインディアン水車。インディアン水車という名がついているが、実は先住民たちによる発明ではない。
また、シベリアユピックはサケを時に凍ったまま食べることもあるそうです。
彼らの伝統的な料理の一つとして「スグダイ」というものがあります。これは凍ったままのサーモンをブツ切りにして皿に盛りつけ塩コショウを振り、ローリエを加え、上からヒマワリ油などのオイルを垂らします。
そして 5分ほど置き、外側の凍結が少し融け、中はまだ凍っている状態が食べ頃だそうです。
こうした凍ったままのサケを食べる文化はエスキモーのみならず、日本のアイヌ族にも見られ、それはルイベと呼ばれているもので、融けかかった冷凍のサケのぶつ切りに塩を振って食べます。
筆者はこれを試したことがありますが、非常に美味でした。
暖かいご飯と食べると丁度良いです。
凍ったサケは保存が効くだけでなく、一度凍っていることから寄生虫がいたとしても低温により死滅しているため、普通の刺身等よりも食中毒になりにくいというメリットもあります。
エスキモーの人々は、氷(イグルー)の中に住むだけでなく、氷を融かして飲み水を得て、農作物の不足を氷を使った保存食品によって乗り切ってきました。
彼らこそ世界で最も氷の性質を利用することに長けた人々と言えでしょう。
永久凍土のワイルドスイーツ「アクタック」
エスキモーのうち、イヌイットたちが作る独特なデザートとしてアクタック(Akutaq)があります。
これはインディアンアイスクリーム、エスキモーアイスクリーム、アラスカンアイスクリームなどとも呼ばれます。
作り方としては、ヘラジカやトナカイ、またはセイウチやアザラシの脂肪に、乾燥した魚の切り身、トナカイやヘラジカのジャーキー、エスキモーポテトとも呼ばれるイワオウギ属の球根、そして多様なベリー類をふんだんに使い、混ぜ合わせホイップにします。
それは凍った状態で食べられることもあり、我々の食べるアイスクリームに比較的近いものといえます。
また、スノーアクタックと呼ばれる、ふわふわの雪を混ぜた アクタックもあり、それはより世界中で食べられるアイスクリームに近いものと言えます。
アクタックに使われるアラスカのベリー類と、完成したアクタック。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Iced_Akutaq.jpg 作者:Matyáš Havel 様 ライセンス:CC 表示-継承3.0
とはいえ、肉入りアイスクリームというだけでも中々身構えてしまいますが、使ってる脂肪分は一般的なアイスクリームに使われる生クリームやショートニングのような癖のないものではなく、端的にいって獣脂です。
特にアザラシやセイウチの脂を使ったものは、いくらベリー類で幾分さわやかにしてあるといえど、口に運ぶにはなかなか勇気がいるワイルドなスイーツとなっています。
しかし、近年ではイヌイットの生活も変化し、市場に流通する生鮮食品を食べることも増えています。
その中で、アクタックにも砂糖を加えたり、脂を牛乳やショートニングで代用したものも出てきているそうです。
そちらはなかなか食べやすそうであり、筆者もいつか食べてみたいものです。