戦艦大和の冷蔵庫
前回の記事では戦時中の一般大衆の氷事情についてお話しましたが、戦場における日本兵での氷の扱いはいかなるものだったのでしょうか?
第二次世界大戦末期における日本兵の食糧事情に関する悲惨な話はよく語られることですが、一方で技術としては先進的な食糧保存設備を有していた一面もありました。
史上最大の戦艦であり、後にも先にも唯一の46㎝主砲を装備していた伝説の戦艦、大和。
この船は装甲も非常に堅牢なものでした。
昭和18年のクリスマス、大和を待ち伏せしていたバラオ級潜水艦スケートの魚雷攻撃を受けたものの、魚雷1発程度のダメージでは到底撃沈することができず、乗務員にはほとんど魚雷の命中に気づいた者はおらず、船体に僅かな傾きが生じて初めて被弾したことに気づいた…という逸話まで残っています。
しかし、戦艦大和が飛び抜けていたのは大きさや火力、防御面だけではなく、食糧物資を保存できる能力も非常に高いものでした。
当時一般に普及していない電気式の冷凍冷蔵庫(広く庶民に普及していったのは戦後東京オリンピックを経た昭和39年頃)を完備。
その容量は空中給油機の一回の最大積載量にも近い(※注1)約2万3400ℓもあり、庫内は野菜庫、畜肉庫、魚肉庫、そして氷庫の4つに分かれていました。
昭和16年9月20日、呉工廠で最終艤装中の大和。
弾丸と冷蔵庫
これには単に建造の予算が潤沢だったといった理由でなはく、洋上での火災などを起こさないように火元を極力減らすという極めて現実的な理由がありました。
そのため、大和は冷蔵庫だけでなく当時としては大変珍しい電気オーブンや電気炊飯器、蒸気菜窯、さらには二酸化炭素消化設備を利用したラムネ製造機(炭酸水メーカー)まで設けられた「オール電化」キッチンを採用していたのです。
また、あくまでこれらの「贅沢」は戦艦としての本来の機能の「余力」を有効活用したものにすぎず、そもそもの冷蔵機能は氷や食べ物の保存がメインの目的ではなく、火薬の保存の為でした。
弾薬の火薬の射程、弾道、初速などは火薬の保管環境に左右され、命中精度を適切に保つには約7℃~21℃、湿度は80%以下に保つ必要があり、この保存のために充てられた冷房の余力を氷の保存などに活用していたのです。
大和ではこの恵まれた冷蔵設備により氷をフル活用、なんと船内でアイスクリームまで作って楽しんでいたようです。
大和以外にもこのような装備を備えた大型戦艦がいくつかあり、米海軍がそのような船を接収したときは大変喜び、自分たちもアイスの製造を行ったそうです。